ときどきふと思い出す人がいる。




私の家はJRの最寄り駅から1.5キロほどあるので


よくバスを使う。


終点まで使う。


バスは途中で


大通りから左折して細い通りに入る。




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図のように


バスは左折してから約600mの距離を走る。


しかし左折地点は視界が悪いため


バス会社はそこに交通整理の担当者を置いている。






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その交通整理担当者は


警備会社からの派遣ではないかと思う。


彼らの仕事とは


その視界の悪い交差点に常駐し


バスが着たら誘導した後、


その600mの距離だけバスに乗る。


そして終点からふたたび600mだけバスに乗り


例の交差点で降りる。


交差点には雨宿りの場所がない。


雨の日はびしょぬれだ。




しかしこの仕事の大変さはそういうことではないだろう。


単調なくり返し。


1日に30、40回ほど


この600mだけバスに乗り続けるのだ。




私はバスに乗ると


見るともなく観察してしまう。


バスを誘導したら


特にすべきことはない。


あとは


600m揺られるだけだ。




今まで実に多くの人がこの仕事をしてきた。


数名を除いて


人はどんどん変わった。


そういう類の仕事だった。




そんな中で一人


私には忘れえぬ人がいる。


私はその人に


仕事をするとはどういうことか教わった気がする。




東京の朝は不機嫌だ。


みなむっつりしている。


私もその一人だ。


ある朝バスに乗り込むといきなり、




 おはよう!





と目と目を合わせて声をかけられた。


私は一瞬怯んだ。


そして目を逸らしてしまった。


もちろん、


あいさつを返すことはしなかった。




朝からご機嫌な警備員さんははじめてだった。


バスが出発するまで10分くらい時間があった。


その間、


私はその人から目が離せなかった。




たいていの警備員さんは


何もせずじっとしている。


携帯を見ている人もいる。


別に構わない。


彼らの仕事は


600mの距離を移動し、交差点で降り


大通りへとバスを誘導することだ。


まったく問題ない。


しかしその人は違ったのだ。




とにかく首がよく動く。


全盛期の中田英寿のようだ。


クルクル、クルクル


まわりの状況を確認しているかのようだ。




と、


いきなり後部座席の方に身を隠した。


私はびっくりした。


いきなりこの人は何をするのだろう?




すると程なく


小さな子連れのお母さんがやってきた。


坊やは3歳くらいか。


坊やが後部座席の方へ進んでくるといきなり


その人はどこに隠し持っていたのか


道端に咲いている花を




 バァ~





と坊やに差し出した。


バス内が一瞬で明るくなった。


坊やの笑い声に満たされた。


お母さんもうれしそうに


「いつもどうも…」と会釈している。


私は愕然とした。




そのままバスが出発した。


バスが走り出してもその人は


やはり首をキョロキョロさせていた。


対向車のこと。


道行く人の安全。


目に入るあらゆる情報を見逃さないようにしていた。


先ほど坊やに花を渡したときの顔とは一変して


大変厳しい顔をしていた。


しかしその顔が瞬時に緩む。


そして沿道の人に手を振る。


視線の先にはお年寄りだった。




その人の600mは一時が万事そのようだった。




またあるとき。


出発までまだ数分ある。


手持ちの花がなかったのだろう、


例の坊やとは別の子どもを見つけると


あわてて下車し花を摘みに走った。


その行動の俊敏さに胸を打たれた。




あるときは


出発を待つバス内で


キョロキョロ周りを見回しても誰も乗り込んでこないことを確認すると


今度は窓から上を見上げた。


そしていきなり手を振る。


その停留所からは団地が近い。


目線の先にはやはりまた、


別の子どもがいた。


うれしそうに手を振っていた。




たった600m。


その人がバスにいるだけで


私は大変豊かな気持ちになった。


他の警備の人は


バス内でずっと首を垂れている人もいる。


私と目が合うと


双方、バツが悪くなり互いの目が泳ぐ。


そんな中、


その人だけは違った。


交差点で勇躍、バスに乗り込むと




 「さあ、ここからは俺の仕事場だ!」





とその背中が語りかけてきたものだ。




しかしあるときから


その人の姿が見えなくなった。


かつてもあった。


1ヶ月くらい姿を見せなくなり




 「もうやめたのかな、結構お年のようだったから…」




などと考えていると


また勇ましくバスに現れる。


だから今回も私は


あまり深刻には考えていなかったのだ。




しかし何ヶ月たっても


何年たっても


その人は二度と姿を見せなかった。


もう二度と会えない気がする。




私の後悔は


なぜあのとき、




 「おはよう!」





の一言が返せなかったのかということだ。


あの瞬間は二度と戻らない。


最初の出会いから何度も顔を合わせたのだが


私とは一瞬目を合わせて軽く会釈する。


そして私も軽く会釈する、という間柄になった。


心の中ではあふれんばかりの親しみを感じながら


私にはその距離感を縮めることはできなかった。


今こうしてその人のことを思い出すや


その距離感は完全になくなるというのに。




仕事とは何か?


あの単調な600mがこうも色彩鮮やかに変わってしまう。


その人を失った今、


いつもと同じ単調なバス内にて


私は何か大切なものを教えてもらった気がしてならない。


もし町でその人を見かけたら


今度は声をかけられるだろうか?


「お元気ですか」と話しかけられるだろうか?


私はふと、


そんなことを考えてる。