鳥居徹也ブログ (講演記録)

全国講演をビデオで報告します!

2010年04月

本日(といっても日付は変わっているが)は

千葉県の生浜高校の夜間定時制にて講演。

20分プラスバージョンにて行った。

セリグマンのポジティブ心理学。

コミュニケーションの本質とは何か。

自分と対話することの大切さ。

たっぷり話ができたと思う。




担当の向井先生とはもう十数年来のおつきあいで

久しぶりにお会いした。

給食も大変おいしくいただき、

夜19:30よりスタート。

あいにくと講演のようすの撮影をお願いするのを忘れていたので

終了後の外の風景を。

中央に見えるのが食堂。

ここで行った。




鳥居徹也ブログ 2009年度からの近況です。





定時制高校での講演はいろいろなところでやっているが

特に生浜高校のみなさんはとても熱心に聞いていただいた。

のみならず大いに盛り上がった。

だから私も先般より復活させた「失恋話」を追加。

私自身も楽しませてもらった。

本当によくぞ私を吊るし上げてくれたもんだ。

おかげでこっちは重要コンテンツを手にしたというわけだ。




講演後は向井先生とお茶。

11時半近くになってあわてて帰路へ。

その電車の中で書いている。




向井先生は数学の教師。

そこで私の高校時代の話をした。

私の通った高校は進学校だった。

実はクラス担任の名前は記憶していない。

それくらい何かよそよそしい感じ。

社会人になって




 「高校時代が今までで一番楽しかった!」


 


という人がたくさんいることを知り




 (何か人生を誤ったのかも…)




と思ったこともある。




実は私は数学が大の苦手。

高校2年で数学の勉強を止めた。

しかし高校1年のときは必死でやった。

なぜならば数学の先生が大好きだったからだ。

名前は永峰先生。

どことなく川端康成に似た風貌でいらした。




どちらかというとむっつり型の先生たちが多勢を占める中で

永峰先生はとても「ネアカ」。

教壇に鮮やかな花が咲いたように私には思えた。




 (この先生にほめてもらいたい!)




私はすぐにそう思った。

確率とか集合とか

理詰めで考えるのは大の苦手だったが

わかるところとわからないところを一生懸命仕分けして

私は永峰先生に質問しまくった。

授業終了後毎日毎日、

私は永峰先生にくっついて数学教官室に行った。

あるいは昼休みにドアをたたいた。

先生に質問していたのは私だけだったと思う。




数学教官室の雰囲気は暗い。

誰も一言もしゃべらない。

その中で明るい永峰先生の声だけが響いた。

私の拙い質問を厭わず

丁寧に教えていただいた。

永峰先生と話をしていると本当に楽しく

その言い回しもどことなくユーモラスで、

ひとり笑いをかみ殺したりしたものだ。




私の高校では

放課後に駿台予備校に通うクラスメートがたくさんいた。

授業が終わるとともに

掃除もしないでダッシュして帰っていった人もいた。

学校の授業中は

夜の駿台の予習時間なのだ。




後で父から聞いたのだが

永峰先生は私の家に電話してきて




 「トリイくんは予備校に行かせなくていいです。

  私が勉強を教えます」




とまでおっしゃったそうだ。

卒業後ずいぶん経って聞いたのだが。




そんな永峰先生を

私は裏切ってしまった。




2年生になって先生が変わった途端、

勉強についていけなくなった。

先生が変わり、その先生に質問に行っても肝心の説明がわからない。

私はついに数学を投げ出した。

永峰先生のもとへも最初は行かせていただいた。

しかしやはり抵抗があった。

いつしか数学教官室から足が遠のいた。




私は大学受験に

英語と世界史と小論文のみOKの大学を選んだ。

どうしても現役で合格したかったので

それ以外の科目は捨てた。




それから高校時代の学校の記憶はあまりない。

そのまま大学に受かりグッド・バイ。

永峰先生は私のことをどう思っていたのだろう。




そして今このように高校を回るようになって

ある高校で現代国語の恩師S先生に出会った。

(この3月で退官された。いろいろお世話になりました)




講演後に

私は長い間心の奥の傷となっていた

永峰先生の話をした。




 「永峰先生ならもう退官されている。

  そんなに気がかりなら手紙を書いたらいい」




とS先生はおっしゃった。

そうだ!と私は思い

早速長い長い手紙を書いた。

今までの言えなかった思い。

たった1年間だったが数学に取り組んだことで得たもの。

あらん限りの文章力をひねり出し

自分としても納得の懺悔文が書けたと思う。




そして私は郵便ポストに投函に行った。

しかし…出せなかった。

なぜだろうか?

とにかく手紙をポストに入れることができなかった。

そして今に至る…




私の講演がわかりやすいとしたら

それは苦手な数学に「うんうん」言いながら頭をひねったことで培われた論理的思考力のおかげだ。

本を3冊出版できたのも、そうに違いない。

論理性とは

わかることとわからないことの間に境界を引くことから生まれる。

それが勉強の意義だ。

この力を私は間違いなく

永峰先生から教わった。




きっと私もいつか

同じ経験をするのだろう。

私も誰かに裏切られる。

しかし私はそれを望んでもいる。

そうすれば

永峰先生に私がしてしまったことも

どこか帳消しされるかもしれない。

本当に今でも信じられないのだ。

なぜあのとき手紙さえ投函できなかったのか、と。




だから私には

すばらしい数学の先生への期待が大きい。

私のように数学が苦手な人間でもがんばれた。

その先生が好きだというただそれだけの理由が動機付けになりうる。

それが教育のダイナミズムではないだろうか。


好きな教師に出会えるというただそれだけで

その直接体験が生徒を変えうる。

その可能性を投げ出した途端、

おそらく学校は死ぬ。




(ちょっと昨日までの話題から転換)




その女性は

一度も学校に行かせてもらえなかった。

親の方針だった。

乳母をあてがわれ

家庭教師が呼ばれた。

30歳まで書き続けた日記は

すべて暗号で書かれていた。


日記の内容はというと

さして秘密めいたものではなかった。

暗号で書き続けたこと、

それ自体を注目すべきだろう。




対人関係に問題を抱えて育った彼女は

しかし、子どもや動物を愛した。

絵を描くことも愛した。




ドイツ語の家庭教師とは

年をとってからも文通を続けた。

その家庭教師には小さな子どもがいた。

その子は5歳のときに長患いする。

お見舞いと慰めのために彼女は、

ウサギの絵が描かれた物語を手紙として送り続けた。

やがてその絵と物語は

世界中に知れ渡るようになる。

『ピーター・ラビット』が生まれた瞬間である。

(『孤独~天才の学校~』アンソニー・ストー著より)




ある青年が沖縄音楽にのめり込んだ。

初めて訪れた「ひめゆり平和記念館」で

語り部のおばあさんから凄まじい話を聞いた。

「捕虜になるくらいなら」とみなで殺し合う。

大変悲惨な話を聞くほどに

今まで無知に育った自分に怒りさえ覚えたという。




その資料館から一歩外に出ると

ウージ(さとうきび)が静かに揺れていた。

嵐(戦争)と静けさ。

そのコントラストを

どうしてもあのおばあさんに伝えたい。


そうして出来上がった曲は

日本のみならず

遠くアルゼンチンでも大ヒットした。

宮沢和史(ザ・ブーム)の『島唄』である。


(朝日新聞の記事から)




このように

強烈なメッセージとして広まるものの中に

たった一人のために作られたものがある。

たった一人のために作られたからこそ

万人に訴える力があったのかもしれない。




私が出会ったある出版社の社長。

その社長が駆け出しの編集者の頃、

マガジンハウスの社長と飲む機会があったという。

当時、

『Hanako』という雑誌が爆発的なブームになっていた。




「あの『Hanako』はどうのようにできたのですか?」


と質問すると、

マガジンハウスの社長はそばに座っていた秘書を指差した。




 「この子が読みたくなるような雑誌を作ったんだ」




そういえば

私にも覚えがある。


きっかけはある高校生からのメールだった。




当時の私は専門学校の広報。

高校生からの資料請求や質問にせっせと答えていた。

その中に

やたらと細かく質問してくる高校生がいた。




 「大学と専門学校の違いを具体的に教えてください」

 「卒業生の3年離職率について教えてください」

 「有名企業にどれくらい就職していますか?」

 「就職が決まらない人はどのくらいいますか、またその原因は何ですか?」




それぞれに丁寧に回答をすると

さらに掘り下げて質問してきた。

どれくらいやりとりしたことだろう?


あまりにしつこいので




 「キミは絶対大学に進学したほうがいい」




などといって突き放すように回答するようになった。

入学されて毎日質問攻めにあったらたまらん。

本来なら

専門学校の魅力を山ほど語らねばならなかった。

しかし私は根負けしてしまったのだ。

私は大学をほめまくった。




すると突き放せば突き放すほど

その高校生は

さらにするどく私をえぐってきた。




こちらの回答も熱を帯びてきた。





 「キミは『有名企業』にこだわっているが『優良企業』という見方もあるぜ」

 「外資系という選択肢もあるぞ」

 「就職、就職といったって最初の上司しだいで…」

 「そんなときは『隣の上司』に頼んで…」

 「メンターって言葉を知ってるかい?」




と長い長いメールを交換するようになった。


それらの内容がやがて


小冊子としてまとまる。


その小冊子は朝日新聞に取り上げられ


私は本の著者となった。


わからないものだ。




結果を意図せず、




 「だれか一人のために」





何かを伝えようとするその熱が何かを生み出したのだろう。

今目の前にいる人、モノに真摯に向き合う。

情熱を傾ける。

すると何かが起こる。






鳥居徹也ブログ 2009年度からの近況です。





これからの教育が


インプット中心(暗記志向)の教育から


アウトプット中心(プレゼン志向)へと変わらねばならないことは自明だ。


もちろん、


必要な知識や技術は激しく吸収しなければならない。


しかし一方通行ではいけない。


入れた知識を


即座に表現するシステムが表裏になければならない。


大学入試が変わらなければ望むべくもないが…




ただ経済界が「ノー!」といっている。


自分のことを


自分のことばで表現できない人材はいらない、と。


教師の役割は




 質問させ


 討論させ


 発表させ


 まとめさせる




要するに「引き出す」


(educateの語源と言われる、ラテン語の「ducere:導く」)


という根本に立ち返らねばならないのではなかろうか。




そうなると当然、


言葉でのコミュニケーション・スキルがまな板に上がる。


「話し方・書き方」である。


話すことと書くことは


インターネット時代のビジネスマンがよりどころとできる基本かつ最重要スキルだ。


リストラされても


異業種に転職しても


この2つのスキルさえあればやっていける。


新しく扱うことになる商品知識をのっければいいだけだ。




これはこれでとてつもなく大切なので


またいつか書きたい。


しかし今回はそのもっと根っこにあるものを考えたいのだ。


具体的なスキルのベースとなるもの、すなわち




 意欲(意志)をどうするか?




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物事の認識を深めるキーワードの1つが「歴史」。


幼児教育には人間の歴史が詰まっている。


なにしろ


母親の胎内に生を受けてからわずか1、2年の間に


生物がたどってきた進化の過程を駆け抜けるともいわれている。


私は幼児教育の現場に身を置くことで


今までとは違う観点から


「教育」というものを考えるようになった。




 「頭」と「心」と「体」




まさにこの3つをバランスよく育むこと。


幼児教育に限らず大切なことだが


幼児期には特にそのバランスが要求される。


なによりも土台作りの時期だからだ。





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「認識」というものは


最終的に「行動」として表現されないとあまり意味がない。


頭(知識)ばかり大きくなっても行動が伴わない。


そんな人が増えているといわれる。


しかし、そこには「心」の問題が絡んでる。




また、「わかっちゃいるけどやめられない」という状態もある。


頭では認識できていても、

止められない、踏み出せないという状態だ。

これは誰にも経験があるでしょう。


やはり「心」の問題。




そしてその「意志」の力を左右するのはまさに「感情」だ。


(意志も感情の1つだがここでは便宜上分けて考える)




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ちなみに私たちの園の教育方針は




 「楽しい!うれしい!やってみたい!」




いくら知識を詰め込んだところで、


その原動力となる




 「楽しい!うれしい!」




という感情が十分育まれていないと




 「やってみたい!」




という意志・意欲もわかないだろうし、何より続かない。


「やる気」は大切。


しかしそれよりももっと大切なのは




 やり続ける気持ち




長い時間継続する根気。


そのためには、


周りの期待yご褒美などの「外発的な動機付け」よりも


楽しいからやるという「内発的な動機付け」が大切になってくる。


それを育む時期がまさにこの幼児期といえる。


そのために「遊び」が重要になってくる。

これは発達心理学でいわれていることだが


重要テーマなのでまたいずれ。




しかし


小さい頃から周りの期待に応えるため、


あるいはご褒美欲しさにがんばってきた子どもは


ともすると




 「外発的な動機付け」




により行動する子どもになってしまう。


今は少子化のため親からのプレッシャー(期待)は昔の比でない。


それが悪い方向へ向かうと


行動の指針が自分の内に確立されないまま成長する。


周りの意見に流されるし


自分の感情や欲求を制御できなくなる。


(あまりは周りからの期待を深読みする)


いわゆる




 「自主性・自律性の欠如」





ということだ。




ところが今の企業が求めている人材とは


まさに「自主性・自律性」となる。






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 確かに「協調性」は必要だが


 それだけではだめだ。


 むしろ「自律性・自主性」のある人が必要だ。




私はキャリア教育とは


1つのコンテンツではなく概念だと思っている。


それは「幼児教育」「学校教育」「社会人教育」という


分断された個々の教育の背骨となるべき思想だ。




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そして発達心理学によると、


自律性・自主性の芽は幼児期にこそ育まれるものといわれる。


中学や高校では…




PISA(ピサ)という試験がある。

国際経済を協議するOECD(経済開発協力機構)が提唱する


学力の世界基準(15歳)を測定するテストだ。

北欧の小国フィンランドがダントツ1位になったことで

「フィンランド式」が有名になった。




その際の日本のランキングが問題となり、

「学力低下論争」が白熱。


「ゆとり教育」の見直しや

「授業時間の増加」が行われた。




2003年度に「科学的リテラシ」が世界第2位だった日本は、

2006年度には6位に後退。


教育立国を謳ってきたわが国としては、

耐え難い屈辱だった。

 

しかし…


とここからが本題。

果たして日本の子どもの学力は本当に低下しているのか?


都留文科大学の福田教授(この方はフィンランド式教育を日本に紹介したことで有名)によると…




 日本の子どもの学力が下がったというよりも


 今まで測定していなかったものを


 PISAは測ってしまった…




ということらしい。


ではPISAが測定してしまったという、


その学力とはいったい何なのか?




ところでPISAという試験は以下のようなもの。




 「科学的リテラシ」


 「数学的リテラシ」


 「読解力」





 とそれらをミックスした





 「問題解決能力」





 の測定 ※15歳を対象




PISAでは毎回テーマを決めて、

上記のうち1つについて詳細なテストを行う。




2006年度は「科学的リテラシ」。


福田教授は、

2006年度に行われたPISAの結果を次のように分析した。




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「科学的な疑問を認識する力」で見ると、

日本は世界8位。


これはいわば「論理力」。




「科学的に説明する力」は世界7位。


これは「プレゼン力」。




これらは確かにランキングが下がっている。

しかし注目すべきは




 「科学的証拠を用いる力」。




この分野に限っていえば


日本は世界第2位。


フィンランドには及ばないものの、

依然として高い水準を保っていたのだ。




しかししかし、


この事実は新しい問題をあぶりだした。




確かに日本の子どもの学力は落ちていない。

しかしそれは日本の暗記中心の勉強、すなわち




 「暗記した公式を当てはめる項目」




に限ったことであり、


PISAが新しく測定した「論理する力」や「プレゼンテーションする力」については


その限りではない。




前回のブログで書いたように


これからは転職・リストラが当たり前の「逆ピラミッドの時代」。


21世紀のビジネスマンに求められる理想的な能力とは


予測不能なマーケットに1つに仮説(論理力)を立て、


自分の考えを分かりやすくプレゼンテーションする能力だ。


それは次のOECD事務総長のコメントにも明らかだ。




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2006年度のPASAの結果公表は、


なんと日本から世界に向けて発信されたのだ!


(なぜかマスコミはこうしたことをしっかり報道しませんね。なぜか外相時代の麻生さんが…)




なぜOECDのトップが日本から情報発信したのか。

何か政治的思惑があるのかもしれない。


しかし1つ言えることは、

今の日本の学校教育では


経済界からの要請には応えられないだろう、ということだ。




実際、


家電大手のパナソニックの採用は


日本国内20%、海外80%となっている。


これを大企業の話といって無視できない。


日本の教育は変わらねばならない。


ドラッカーがいうように




 変化に対応するのではなく


 変化の先頭に立たなければならない…






私は昭和40年生まれ。


時代はまだ高度経済成長の名残り。


物質的に完全に満たされてはいないが


それゆえに




 「あれがほしい」




という具体的な目標が明確だった時代。


俗にいう、


 


 昭和的価値観




である。




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その頃のキャリア・パスとは


ほとんど単線。


よい大学に入れば


よい会社に入れる。


会社は終身雇用・年功序列なので


黙ってこのエスカレーターに乗っかろうよ、という時代。


だからあらゆる教育は


大学入試さえ見ていればよかった。


(これは今でもそうかもしれないが…)




こうした時代に


会社が求めたもの。


それは…




 協調性:


 勤勉・従順・素直


 和を乱さない


 言われた事を正確にこなす




しかし時代は変わり


今は平成の世。


ではいったい、


今の世の中をどんなピラミッドに描こうかと考えていた。


キャリア教育の講演を控えたある日のことだった。


いつものようにPowerPointを前に考え込む私に


1つのアイデアがひらめいた。


それが次の逆ピラミッド。




















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「ああ、こんな感じでいいや!」




と喜んでみたものの


なんともいえない不気味な感じもした。


その灰色の世界は果てしなく広がる。


会社に入ったはいいが


その先は転職・リストラは当たり前の世界。


今までの




 「大学まで入れたら…」




という昭和的価値観はもはや通用しない。


すなわち企業が求めるものは




 自主性・自律性





ということになる。




そんな中で


21世紀の教育の方向性はどうなるのか?


いったい、


何が求められているのか?




その要請は、いつものことだが


海の向こうからやってくる。


日本という島国の歴史が始まって以来の宿命といえよう…




想像してほしい。




もし面と向かって


いつも何かと対立するライバルから


次のように言われたらどうだろうか?




 「おまえの今日来ている服、サイテイだな!」




これに対しては




 「大きなお世話だ!」




と反論することも可能だ。


相手は目の前にいる。




しかし、


自分自身の考えに反論することはどうだろう?

できるだろうか?

これは大変難しいのだ。




 (さっきは言い返したけど、人から見ると今日のオレの服装はひどいのかな…)




目の前に相手がいないので反論が難しくなる。


そしてどんなつぶやきをするかは

小さなときから身につけている習慣次第となる。




ここで私たちの心の中を「氷山」にたとえてみよう。

心は2つの部分に分かれる。

「意識」と「無意識」。




心理学によれば、


私たちの心の中は、




 10%の意識と残り90%の無意識




に分けられる。


ほとんどが無意識。




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たとえば、


矢印「A」のように他人から何か言われたときには言い返すことができる。

ターゲットは明確だ。




しかし矢印「B」のように、

自分で自分の無意識につぶやいている場合はどうか?

この矢印「B」に反論することは


なかなか難しい。

そして無意識に話しかける「つぶやきの習慣」は、

私たちの行動に大きな影響を及ぼす。

それは日常的にくり返されるから。




心理学者のM・セリグマンはまず、




 自分の説明スタイル(つぶやきの習慣)に気づくこと




を強調している。

物事を悲観的に考えるクセのある人は、

その考え方をどんどん広げてしまう。

そうして




 「どうせ僕なんか…」




と暗い方へと考えが進んでいってしまう。

しかし楽観的に考える人は違う。

悪い考えを「一時的」ととらえ切り替える。

すると次の行動に移ることができる。




つまり時間と空間の認識が違うのだ。




 (楽観的な人はトラブルがあっても)


  時間 → 一時的と考える

  空間 → 特定的と捉える




何かトラブルにあったとき、


そのときの反応は2通りある。


プラスとマイナス。

この自分自身の無意識につぶやく「説明スタイル」が

その人の人生を豊かにもするし、


つらくもする。




悲観的な人は


ひとたび悪く考え出すとその考えをドンドン広げしまう。




 「先生に怒られた。僕はなんてダメな奴だろう。次も失敗するに決まっている…」

 「お母さんは僕にはつらく当たる。きっと僕のことなんかどうでもいいんだ…」




逆に楽観的な人は、

物事がうまく運ばなくても悪い考えを広げず断ち切れる。




 「先生に怒られた。今回は失敗だった。でも次の機会にがんばろう!」






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グラフのように、

楽観的な人だってトラブルがあったら落ち込む。

でも「V字回復」する。

立ち直りが早い。


しかし悲観的な人は


いつまでも浮き上がってこない。

引きずってしまう。


どんどん広げてしまう。




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すでに身についてしまった「つぶやきの習慣」を変えることはとても大変だ。

これこそまさに「努力」だ。

自分の心のつぶやきに目を光らせ、




 「あ、今否定的になっていた!」




と気づいたらすぐに打ち消すことだ。


自分の名前を呼び叱咤してもいい。

そうやって修正していくうちに、

いつしか「つぶやきの習慣」も変わってくる。




すると自然とその人の表情も変わってくるだろう。


自信のない表情はどこかに消え去り、


引っ込み思案な性格も改まってくる。


すると対人コミュニケーションも変わってくる。


コミュニケーションの本質とは


自分自身とのコミュニケーションにあるとはそういうことなのだ。




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まとめ。


成功のカギは、


つぶやきの習慣にある。

能力でもない。

性格でもない。




たとえ今悲観的な性格の人でも、

つぶやきの習慣を変えれば行動が変わる。

楽観的な性格へと切り替わっていく。




逆にたとえ今能力があっても、

悲観的なつぶやきばかりしていれば


能力が開花しない。

行動が持続しないから。

落ち込んでもいい。

すぐ切り替えて前を向くべきなのだ。




大リーガーの松井秀喜選手の著書「不動心」(新潮新書)に


恩師の言葉として次のものが書いてある。




 心が変われば、態度が変わる

 態度が変われば、行動が変わる

 行動が変われば、習慣が変わる

 習慣が変われば、人格が変わる

 人格が変われば、運命が変わる

 運命が変われば、人生が変わる




しかしここにもうひとつ加えたい。




 「つぶやきが変われば、心が変わる!」


 心が変われば、態度が変わる

 態度が変われば、行動が変わる

 行動が変われば、習慣が変わる

 習慣が変われば、人格が変わる

 人格が変われば、運命が変わる

 運命が変われば、人生が変わる




講演後にこんな質問を受けたことがある。




 私はコミュニケーションが苦手なのですが


 コミュニケーションが得意になる秘訣を教えてください。 





まずは勇気を持って質問してくれたことに敬意を表した。


何百人の人の前で発言すること、


それ自体がその質問の答えかもしれないのだ。





 ひょっとしてあなたは


 「コミュニケーションを好きにならなければならない」


 と思い込んではいませんか?


 


と私は聞いてみた。


彼は一瞬「きょとん?」としていたが。





「たくさん友達を作ろう!」





という標語は


学校時代にいやというほど聞かされる。


または目にする。


確かに人間関係は重要だ。


これには反論の余地はない。


しかし友達というものは多ければいいというものではないし


ときには独りで決断すべきときもある。


私には





「たくさん友達を作ろう!」





という標語の裏に





「コミュニケーションを好きになろう!」





という無言のプレッシャーを感じなくもない。


私は彼にこう話した。





 意外に思われるかもしれませんが


 私はコミュニケーションが好きか嫌いかといったら


 「嫌い」の方かもしれません。


 集団行動より単独行動が好きですし


 何よりも独りの時間が貴重です。


 しかしコミュニケーションはしますし、できます。


 コミュニケーションとは好き嫌いの問題ではないのです。


 しなければならないのです。


 そのためにはその方法を知らねばなりません。


 その本質を学ばなければならないのです。





コミュニケーション上の大きな誤解がある。


みんな、


他人とのやりとりばかりに気が向いてしまっている。


世間とどううまく対応できるか、ばかりが関心事となってしまっている。


違うのだ。




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コミュニケーションの本質とは「A」ではなく「B」にある。


「A」の対人コミュニケーションではなく


「B」の自分自身とのコミュニケーションにあるのだ。


それは…




今話題のベストセラーである。

しかし表紙が表紙なので

なかなか手に取る気にならなかった。

読んでみたら大変面白かった。

数時間あればあっという間に読める。

かつ

ドラッカーの力強い言葉も再確認できる。

おすすめだと思う。



ドラッカーはいわずと知れた経営学の神様。

数年前に亡くなった。

ひとりで黙祷した。



ドラッカーに出会ったのは私が30歳になったばかりの頃。

当時、中小企業診断士の勉強などしていた。

多くの基本書を読んでいた。

しかしあるときドラッカーに出会った。

すると今まで読んでいた本が急に色あせて見えたものだ。



そのドラッカーが再びブームになっているという。

その火付け役が『もし高校野球の…』ということだ。



私が最初に手にしたドラッカーは『明日を支配するもの』。

当時の最新刊だった。

この本では組織のマネジメントにとどまらず

自分自身のマネジメントについて多くのページが割いてあった。

いまだに覚えているのが「ミラーテスト」である。



確か第一次世界大戦頃。

ヨーロッパのある国に赴任していたイギリスの外交官の話だ。

あるときその国の要人から

(変な意味で)女性を紹介するように頼まれた。

その外交官はとっとと職を辞した。

その理由がこうである。



 朝起きたときに

 鏡に映るポン引きの姿を見たくなかった。




これがミラーテスト。

そしてドラッカーはいう。



 朝、自分の顔を鏡に写しても

 恥ずかしくない生き方をせよ。

 (確かそのような内容だった)




これを私はずっと覚えている。

ときどき

朝の鏡が恥ずかしいときがある。

これではいかん、と思う。

いつまでも「ミラーテスト」は続けよう。



もう15年ほど前専門学校で働いていた頃。


そのとき担当していたクラスの学生たちと






年に1,2回会って食事する。






私は2年前に酒をやめたので






彼らは飲む。






私は食べる。










あの頃私は30代前半だったので






今の生活を思うと結構むちゃくちゃだった。






飲み会は夕方に始まり朝まで続く。






たいてい12時を過ぎると






みんな寝ていた。






私は結構酒が強いので寝ない。






そして起きているヤツをつかまえていろいろ説教くさいことをいう。










たぬきそっくりなMくんに






私はいったそうである。






彼に話したことはすっかり忘れていたが。










 就職したら一生懸命仕事しろ!






 そうすると必ず目立つ。






 なぜならば






 一生懸命なやつって結構少ないもんだ。






 だから目立つ。






 すると必ず誰かが見ている。






 見てくれている。






 世間には 






 がんばっている人に手を貸したいと思っている人が必ずいて






 その人が必ずキミを引き立ててくれる。






 






たぶん






当時読んで感銘を受けた『カーネギー自伝』の受け売りだったと思う。






私は酔っていたので






すっかりそのことを忘れていた。






しかし彼は覚えていたのだ。










現在30代半ばのMくんは






優秀な営業マンである。






売り上げは倍々。






仕事は楽しい、という。






そしてこんな話をしてくれた。










 先生が「とにかく目立て!」というから






 どうしたら目立つか、といろいろ考えました。






 それであるとき






 得意先のトイレをきれいに掃除しようと思ったんです。






 営業車にトイレ掃除の道具を積んで






 さりげなく






 「トイレ借りますね」






 といって「ガーッ」と掃除しました。






 そして黙って帰るんです。






 後から聞いた話ですが






 「いったい誰がこんなにピカピカにしたんだ?」






 と話題になり…










見上げた男だ!




私はすっかり感動してしまった!










 「キミはすごいな!!」




 「先生が目立てといったんじゃないですか…」










まさかそんなことを実行するとは…




聞くところによると




彼は自分の会社のトイレもピカピカにしてしまったそうだ。




彼の会社はいまいち元気がない。




従業員に覇気がないそうだ。




トイレもきったない。




そこで朝四時に出勤して




みんなが知らないうちにピカピカにしてしまったらしい…










それでもみんな知らん顔らしい。




なんだか




悲しい組織だ。











これはまさに「陰徳」である。





人知れずやってしまう。




やったことはすぐには報われない。




しかしきっと




お天道様は見ている。










禅宗のお寺では




競ってトイレ掃除をするらしい。




すごいところになると




寝ずにひっそり夜中に


競争するように磨くらしい。




磨けば徳が積める。




あまり計算すると「陰徳」にならない気もするが。










ビートたけしのこんなエピソードもある。




飲み屋で酒を飲んでいて




トイレにたったそうだ。




しかし一向に帰ってこない。




心配になったご主人がトイレに行くと…










果たして




ビートたけしがせっせとトイレを磨いていたそうだ。










 「汚いとつい磨いちゃうんだよね」










とバツが悪そうに笑っていたそうである。





そうか…


北野武の素顔を見た気がした。





私は早口である。


せっかちである。


だから話の途中で




「間」




をとることがとても難しく


長い間苦労してきた。




まだ全国で講演行脚する前のこと。


やはりいろいろな人に聞いて回った。




「間をとるにはどうすればいいのか?」




これもいろいろなアドバイスをいただいた。


その中で「ん!」と思ったのが




 聴衆に、左右満遍なく目線を移す。


 その際、必ず目線を止める。


 止めたときに、しゃべることも止める。




これは最初意識してやったことがある。


(すぐに忘れてしまったが)




とりあえず私がしていたことは


毎回の講演を必ずビデオに収めることだった。


そして再生することだった。


何回か繰り返すうちにあることに気づいた。


(というかすぐに気づいた)




自分で強調するつもりで


手振りをするわけだが


その肝心の手のひらが




ふらふら


ひらひら




して定まっていない。


収まりが悪いのである。




「ひょっとしたらこれかな?」




と思った。




そう、どこかで聞いたことだが


モデルは撮影の際




末端をピシッとさせる




らしい。


そういえばグラビアの写真を見ると


指先がピンと伸びている。


まさに神は細部に宿る。




でボディアクションは指先を意識した。


指先をきれいに伸ばす。


そしてしっかり止める。




しかし人差し指で聴衆を指すことは侮辱行為になりうる。


だからしばしば指先はこんな風になる。




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「輪っか」にしてしまう。


選挙戦を戦っていた頃のオバマは


手先をよくこのようにしていた。


これはノンバーバルコミュニケーションの世界では常識のようだ。




私の場合は「輪っか」ではなく


こんな風にしていた。




相手に指紋を向けよ!




人差し指のお腹を聴衆に向けて立てる。


何かキーワードなどを強調するときに使う。


そしてその際指の動きを止める。


それとともに「間」ができる。




体がしっかりと静止していながら


話だけベラベラすることは(できないとまではいわないが)


まああまりしないでしょう。


逆に言えば


体の動きを制御することで


話の仕方を制御しようともがいていた時期だった。




まとめると


早口の人は動きもせわしない傾向にある、ということ。


その認識をしっかりして


体を制御 → 話し方を制御 ということになる。




その後私は指揮者の研究をしてみた。


カラヤンの映像を繰り返し見たり


歴史に残る名指揮者の書いた本を読んだりした。


ボディランゲージを指揮棒に見立てたのだ。


岩城宏之の『指揮のおけいこ』は面白かった。






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本日は2010年度最初の講演でした。


東京都立日本橋高校です。


しかし日本橋といっても


なぜか所在地は墨田区。


そうです、3年前まで箱崎にあったのですが


校名はそのままに場所のみ変わったということでした。




地図を調べてびっくり。


私が3歳まで住んでいたすぐそばにあります。


私は都立墨東病院で生まれ、


3歳まで向島に住んでいました。


家は「しる粉あんみつ屋」。


すなわち甘味処です。


名前を「大坂屋」といいました。


私のおじいさんが3代目(?)かで、


父の代で廃業。




そんな経緯で


この地には愛着があります。


また4年前には


やはりこの地域の墨田中学校の全校生徒に講演したこともあります。


当時の自民党文部科学副大臣の馳浩議員が


視察に来た公開授業でした。




鳥居徹也ブログ 2009年度からの近況です。
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墨田中学校で私の講演を聞いたことのある生徒が


この中にいるに違いない。




「中学校のときに私の講演を聞いたことがある人?」




と問いかけると


1名さっと手が上がりました。


こういうことは


かつて福岡県でよくありました。


一時期


福岡の中学、高校でずいぶん講演しましたから。


なんだかうれしい気分です。




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日本橋高校の先生方は


みなさん、若々しく元気いっぱいでした。


校長先生の強い熱意も感じ


気持ちよく講演を終えることができました。


先生方ありがとうございます。


そして生徒諸君、成長曲線を信じてがんばって欲しい!


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講演時間は


20分延長して80分。


セリグマンの「ポジティブ心理学」をやりました。




「成績の良し悪しは能力ではなく(悲観的な)つぶやきの習慣にある!」




機会があれば


どんどん話していきたいと思います。




また今回から


講演の記録集を配布させていただきました。


講演が終わった後で生徒に配っていただく3種類のペーパー。


振り返りに活用いただけると思います。




講演終了後の質疑応答の時間で


ある生徒から質問が出ました。


私に、何かニート体験のようなものがあったら教えて欲しい、と。


いい質問です。


そこで久々に


私の失恋(というか単なるドジ)体験を話しました。


大学のゼミでつるし上げられたのです。


うっかり


ゼミの人間関係を調べる前に


ゼミのリーダーの彼女にアタックしてしまったのです!




そして


忘れもしない夏のゼミ合宿。


いままで一度も話しさえしたことのなかったゼミのリーダーが


私のもとに歩み寄り、




「トリイさん、今日の夜八時に301号室にきてよ…」




言われた通りに出かけた私に起こったこととは?


その後の顛末とは?


その続きは…


運がよければ私がライブで語るでしょう!




今読んでいる本、


マイク・チクセントミハイ著『フロー体験とグッドビジネス』の中に


「自分とは何か?」というアイデンティティ上の大問題に対し




死を相談相手に選ぶ




という一見おどろおどろしい箇所が出てくる。


しかしこれは不気味でもなんでもなく


至極まっとうなものだ。


人生の岐路に立ったときに


自分自身に質問する。




 これはよい考えかどうか教えてください。


 この仕事に就くべきでしょうか?


 この人と結婚すべきでしょうか?


 命が尽きるとき、


 これをしたことを悔やむでしょうか?


 あるいは喜ぶでしょうか?




同じようなことをピーター・ドラッカーも書いていた。




 自分が死んだ後


 人々からどのように記憶されたいか考えてみること




これらの質問は


生き方の根本をえぐる。


私たちはいつも今のことで精一杯だ。


そこに「死」の力を借りて視点を変える。


それによってグッと視野が広くなる。




たとえば


自分の死亡記事を連想してみる。


(別に何か大きなことをしろと言っているのではない)


写真とともに故人の紹介が


新聞記者の醒めた文体で綴られる。


そこにいったい何が記載されるのか。


記載されるような人生を送りたいのか。


こういったことが本当の意味での「キャリア教育視点」といえよう。






…話は変わるが


キャリア教育とは何か特別なカリキュラムではないと私は思う。


それは1つの思想だろう。




キャリアの語源はラテン語で轍(わだち)。




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車輪の跡。


すなわち継続、続いていくことだ。


幼児教育、学校教育、社会人教育と


それぞれ分断されているものを


一貫した視点で捉えなおすことだと私は思いたい。


だから私は今幼児教育の現場にいるが


キャリア教育的視点で幼児教育をリロードしたいと思っている。




実際のところ


社会に出て必要とされる「自主性・自律性」を獲得する時代とは


心理学者のエリクソンによれば2~6才になる。


日本の幼児教育はこの時期に「一斉保育」を行う。


「個」よりも「集団」。


一斉保育も大事だがそれだけではだめだ。


幼稚園は小学校に入る前の準備だけの存在ではない。


もっと長い視点で見るべきだ。




そんなことを考えながら


明日もまた講演。


都立日本橋高校にて。


時間を拡大して80分いただいた。


マーティン・セリグマンの「ポジティブ心理学」を最後にやりたいと思う。


楽観性こそ


長く続く人生における最大のエネルギーとなる。


そんな話をしたいと思う。




小泉純一郎元首相を評して


功罪相半ばの…的な表現が使われる。


が、私は好きだった。


あれほどスピーチのうまい政治家はいなかったと思う。


リアルタイムで見れたことがラッキーだった。




小泉家の家訓というものがある。


それは…




「え~」


「あの~」




を言わないことだそうだ。


話の合間のごまかしである。


それが許されなかった。


(そういえば息子さんも滑舌がいい)




話す内容が固まっていないとつい、




「え~」


「あの~」




といいながら考えてしまう。


それを禁じる。




すると常日頃から


話す内容を整理する習慣になるから不思議だ。


私も始めて話す内容になると


つい「え~」が出てしまうことがある。


話しながら反省している。




小泉元首相の演説で有名なのが


例の郵政解散のときの街頭演説だ。




炎天下の演説。


聴衆は1000人。


もちろん多くの警察官が出動している。


話はそこから始まる。




 いや~暑いですね。


 暑い中、警察のみなさんご苦労様です。


 この私やみなさんを守ってくれる警察官


 その数、全国で28万人


 日本という国を守ってくれる自衛隊


 陸海空合わせて24万人


 外務省


 本省、在外公館ぜーんぶ合わせてもたった6000人


 世界中で6000人ですよ?


 ところが郵便局


 どのくらいいると思いますか?


 なんと38万人ですよ!


 38万人の公務員。


 これが問題だと言っているんですよ!




この構成、すばらしい。


まずは「スモール・ステップ法」。


まさに今、目の前にいる身近な存在の「警察官」から説き起こす。




警察官-28万人


自衛隊-24万人


外務省-6000人


郵便局-38万人




と、構造的にわかりやすい。


しかも強調したい「38万人」の前に


「6000人」と数字をがくっと落としている。




そして郵政問題を


より大きな公務員問題に「すり替え」ている。


公務員問題といえば


多くの人の支持を得ることが可能だ。




構造的であり


ある意味詩的であり


変化のある繰り返しで飽きさせない。


体言止めがいいアクセントにもなっている。


まったくもってすばらしい!




実はこの「すり替え」という手法は


スピーチの名手がしばしば行う。


歴史に名を残すあのリンカーン大統領もそうだ。




リンカーンはイリノイ州の出身。


イリノイは縦に長い。


どういうことかというと


北の方は


北部の影響を受けて奴隷反対。


南の方奴隷賛成。


こうした中でリンカーン議員は


玉虫色に主張を変えながら選挙を戦っていったという。




そしてあのゲティスバーグ演説。


当時の著名な演説家が2時間もかけて行ったそのすぐ後に登壇し


たったの3分でその2時間を吹き飛ばした。


例の「人民の人民による…」である。




リンカーンの目的は


南北に分かたれたアメリカを1つにすること。


夥しい死傷者を出したゲティスバーグにおいて


リンカーンはそれをスピーチの力で成し遂げた。


リンカーンの行った大いなる「すり替え」とはこうである。




リンカーンはいきなり「独立宣言」を持ち出したのだ。


白人と黒人との対立を


イギリス国王に対するアメリカ国民の戦いにすり替えたのだ。


我々アメリカ人は自由を求めてイギリスに対峙した。


そしてアメリカは1つになった。


肌の違いを乗り越えて


イギリスに対するアメリカという構図に持ち込んだわけだ。


聴衆は祖先の気高い理想に思いを馳せ


しばし、南北に分断された現状を忘れるのだった…




リンカーンはアドリブの名手だったというが


演説前はスピーチライターが用意した原稿に自ら手を加え


何度も何度も推敲し、練習し


本番に臨んだという。


リンカーンのスピーチの秘密、みたいな本はたくさんあり


私も結構読んだ。


話のクライマックスには


大きな身長を膝まで縮め


それから大きくそっくり返るというようなボディアクションもしたようだ。




小泉さんから話が大きく逸れたが


今日はこのくらいで。




よく「PowerPonit不要論」というようなことがいわれるが


私にはまったく理解できない。


PowerPonitは便利な画用紙みたいなものだ。


ただPowerPonitを




「画用紙」




ではなく




「ノート」




だと思ってコンテンツを作り込む人がいて


そうしたノートにまとめたような複雑な図解を


プレゼンテーションという一瞬の場で見せられると


講師の話よりも


図解の解読に神経が集中してしまう。


で、いつしか眠くなってしまう。




前にも書いたが日本人には




「絵を見ながら話を聞く」




カルチャーがあるようだ。


私たちは見たいのだ。




よく講演会やセミナー会場にいくと


ステージ上に立派なスクリーンがある。


参加者はわくわくしながら


講演を待つ。


そして講師登壇。


PowerPonitスタート。




しかし始まってみると


手元に配られている字がびっちりの資料と


目の前の大きなスクリーンに映写されているPowerPonitの画面は一緒。


それは細かすぎて見えないし


そもそも手元にある!


やがて「目で見たい」日本人は


講師を見るより手元を覗き込み、


やがて Guuuuu…


これがよくあるパターンだ。


これではPowerPonitは不要である。




そうではなくて


PowerPonitは画用紙。


わかりやすい絵をポンと1つ。


一画面につきひとつ。


プレゼンテーションなのだから


解読しなければいけないような図解は出さない。


見るための図解を作る。


グラフに2つの意味を持たせてはいけない。


たった1つを説明するものでなければならない。


(わかりやすい複合グラフは研究しなければなりませんが)




ここでもお手本はテレビ。


多くの人々がテレビのやり方に慣れている。


白書に慣れている人はごく少数だ。


テレビは子どもから老人まで意識したバリアフリーのつくり。


削除できるだけ情報は削除する。


その上で要点を伝える工夫をしている。




先日うちの園にも来てくれた


鈴江アナが出ている日テレのニュース番組で




「与謝野新党の打ち出すカラーは?」




みたいなことを解説していた。


そしてMCが1つのフリップを出した。


言葉が間違っているかもしれないが


再現するとこんな感じ。






9c290c69.jpg






「鳩山政権はここ。では与謝野新党は?」


というような感じだった。




レーダーチャートは実に便利なツールで


必ずお世話になっている。


縦軸と横軸を上手に意図することで


抽象的な内容を視覚的にアピールできるからだ。


大好き!




しかしさすがにテレビだなあ、と思ったのは


普通次のように作るだろうな、と思ったからだ。






8f66cae3.jpg






わかりやすく伝えることを至上命題とするならば


図解はシンプルなほどいい。


上の図の赤くしたところは


教科書的には削れないところだろう。


しかしテレビはそれをやる。


矢印なんか一方通行で十分。


そうすれば


軸を説明する言葉(財政規模、対米重視)も


きれいに収まる。


よりすっきりする。


なるほど!




とにかく


図解はシンプルなほどいい。


点線さえも邪魔なのだ。


教科書なんか○○くらえ!


そうしたことをテレビは教えてくれる。


そして


多くの人がテレビの見せ方に慣れてしまっているのだ。


もうこうなったら、


プレゼンターはテレビから学ぶしかないのである。






追伸:


グラフつくりは新聞に学ぶ。


これは鉄則。


私はかれこれ15年前にはじめてExcelを教わったとき、


新聞に出ているグラフだけをスクラップして


手当たりしだいマネして作った。


細かなところまで


できる限り同じように再現した。




円グラフ


棒グラフ


点グラフ




この3大グラフをマスターすること。


それが第一歩だった。




次に目に入ったのが


求人広告の欄。


あるいは企業広告。


それもスクラップして


時間を作っては同じようにマネし再現した。


あのときの反復練習が


どれほど役立ったかしれない。




もし私のこの文章を


人前でプレゼンしなければならない人が読んでいたら


そして最近、




「PowerPonitてイマイチだなあ…」




などと考えていたら、


ただちに


グラフをスクラップをすべき、といいたい。


つねに数字をグラフ化する習慣を身につけると


プレゼン力が倍増する。


私はこれを




「グラフ力」




と名づけたい。




正社員大卒 → 3億


正社員短大卒 → 2.8億


正社員高卒 → 2.7億


フリーター → 6800万円




この数字をグラフ化したら


マスコミが飛びついた。


もう5年前のことになりますが…




40fd501a.jpg






私が最初に高校生に講演したのが


今から約15年前。


大変な教育困難校だった。


講演依頼が来たのが3日前。


きっと誰かに断られたのだろう。




そのときの私


製薬会社の営業から転職したばかり。


ドクターや薬剤師へのスピーチ経験はあった。


高校生も似たようなものだろう、と


気軽に引き受けてしまった。




それがもう、大失敗。


非常な屈辱と悔しさ、そして無力感。


それに加えて


講演後の控え室で


担当の先生からのキツイ一言。




「トリイさん、あまり講演、慣れてないみたいですね…」




さりげなく語られたそのセリフは


傷ついた私の心の傷に塩をぬった。




重い足取りで高校を後にした。


この失敗はいつか取り返さなければならない。


いつか、あの先生に目にモノみせてやる…




とまあ、


本当のところを書くとこのようになる。


あのときのA先生は今いずこ。


おかげさまで


一応、全国どこでも講演できるスキルが身についた。


今ではA先生に感謝している。




それにしても


このときの傷は大きく、深く


数年前に


講演依頼が殺到したとき


私はいろいろな人に講演のコツを聞いて回った。


で、みなさんが言った共通点、それは




バカズ




だった。


そう、場数である。


数をこなすしかない、というわけだ。




そのときは


「もっと速効性のあるアドバイスはないの?」


と思ったが


今にして思えばそのとおりだ。


私も質問されたら同じように答えるだろう。


場数だ、と。




しかしテクニック的なものも存在する。


特に高校生はなかなか難しい聴衆である。


体育館に大勢集めて講演するには




テレビ型プレゼン




が効果的だろう。


すなわち、


プロジェクターやスピーカーを使い


PowerPointフル稼働で


五感に訴えるプレゼンをする。


実はテレビほど見慣れているものはない。


私の先生はある意味、


みのもんた(?)なのだ?????




1.自己紹介や前置きなど「絶対に」しない:いきなりはじめる

2.話のスタートはビデオか写真を出す

3.3択クイズを無理やりにでも作る(「起承転結」ではなく「ミステリー」)

4.クイズ解答用紙を配っておき、記入させ、手を上げさせる

5.手を上げてくれたらほめる

6.講演の内容は話したいと思ったことの半分か2/3に縮める




まず1。


実は生徒の方が「講演慣れ」している。

彼らは「聞くプロ」。

お金(授業料)を払って講演を聞いている。

この認識が必要だ。




だから講演前の状態とは実は生徒側が優勢なのだ。

「さあ、今日の講師はどんな奴かな…」と構えている。

その主導権を


一気にこちらに取り戻す方法が「1」である。

いきなり本題に入ることで


相手の意表をつく。

まさか最初から本題が始まるとは思ってもいないからだ。



続いて2。


講演のテーマにあわせて

それに関係するニュース番組などの映像を2,3分流すのもいい。

映像はとりあえず見てしまう。


見ないまでも聞いてしまう。

映像を流している間に


こちらの体制(心の準備)を整えることもできる。




講演というものは

とにかく最初の第一声が緊張する。


その第一声をいつも




「最初にこの映像をご覧下さい」




といってから一息つけるのは救いとなるだろう。

当初私も


ずいぶんこれで落ち着けましたね。




適当な映像が見つからなかった場合は


写真でいい。


人物の写真はいい。


人はとりあえず「目」を見てしまう。


アイ・キャッチに最適だ。


私はよくマザー・テレサを使わせていただく。




3。

「起承転結」ではなく「ミステリー」とは何か?

ミステリーは興味関心を引っ張る。

これです。

順を追って解説する起承転結で話すやり方は


聞く姿勢ができている大人はいいが

飽きっぽい高校生には難しい。


(特に首都圏など大都市の学校)



「えっ~、それホント?」



というテーマをドンと打ち出し

その答えを3択にする。

体育館に事件を起こして

その謎解きに、生徒を指名するわけだ。



そして4。

謎解きには「モノ」が必要になる。

手元に資料を渡して手を使わせるといい。

手を使うことで脳の別の部分が働く。

これをしないと、


「耳」ばかり刺激することになり

脳が不活性化する。

私の講演は「目」「耳」「手」を刺激するように工夫してある。

手を使わせると発問も違ってくる。



「1番だと思う人手を上げてください」   ← クイズ解答用紙がないとき

「1番に○をつけた人手を上げてください」 ← クイズ解答用紙があるとき
 



「思う人」と発問した場合

(おれ思わないもんね…)と拒否する理由を与えてしまう。

しかし実際に○をつけてしまうと

手を上げねばならない理由になる。

人間は案外素直にできている。


だから私の仕事は


クイズの答えを相談する時間を作り




「ハイ、まわりと相談してください。同じ答えで構いません。


必ず1つに○をつけてください」




としつこくいって決断を迫ること。




5はそのお礼。

勇気を持って行動してくれたのでほめる。

一期一会になるだろう相手と


瞬時にコミュニケーションするにはこれしかない。




最後に6。

しゃべる側の情熱は聞く側の情熱の100倍くらい多い。

だから講演内容は削らねばならない。

むしろ少ないほうがいい。

終わった後食いつきがいいようだったら

そのときに補足すればいい。



以上がざっと思うことになる。


実はこの内容は


ある方から質問されて


そのときの思ったことをまとめたものだ。


結構、私信というものは書き易かったりして


短い時間でドカンとまとまるものだ。


それでこのブログに記録してみたのだ。




さらに追加として「お笑い」との関係をまとめよう。




うけるプレゼンとは「お笑い」と一緒ではないだろうか。

すなわち、



「フリ→ボケ→ツッコミ」



の3段構成だ。

面白い漫才は必ずこれでできている。



ダウンタウンでいえば

まず浜ちゃんが話題を「フリ」、

それに対して松ちゃんが「ボケ」る。

そこに浜ちゃんが「ツッコミ」をいれて完成。


3段構成。



まず話題を「フル」から

お客は「それでどうなる?」と興味関心を起こす。

それに対して松ちゃんが「ボケ」て笑いをとるが

すぐさま浜ちゃんがどついて「ツッコミ」、

そのお客の笑いを確定させる。



話のうまい人は一人でこれをしている。

私が今最も注目している人は青山繁晴さん。

ユーチューブで見れますのでぜひぜひご覧ください。



http://www.youtube.com/user/03aoyama



私にとって最高の先生です!

次の画面が出る前に必ず「フリ」があり

その画面をバンとだして「ボケ」、

その画面を読み上げ、


解説することが「ツッコミ」になっている。


すばらしい!

つねに次へ次へと見るものをいざなう、そのコンテンツと話術!

謎解きのようなプレゼン。




世界最高のプレゼンターといわれる


アップルコンピューターCEO、スティーブ・ジョブス。


彼のプレゼンは


次のことばで特徴付けられているらしい。




画面にことばが先行する




やっぱり


まず「フリ」があるのだ。


しかる後に新商品の画面が出る(「ボケ」)。


そして自らその新商品に「ツッコミ」を入れる。




そう理解してしまうと


お手本はいたるところにある。


最近はプレゼン方の番組も多い。


プレゼンターは必ず、




「その謎は…次の映像を見ればわかります」




などといっている。




これは


昔懐かしい紙芝居のおじさんも一緒だ。




「そのとき黄金バットは………(とひっぱって次の紙へ移る)」




前に紙芝居に興味が出て


(PowerPointはデジタル紙芝居だから)


さまざまな書籍をamazonで購入したことがある。


紙芝居の歴史も調べた。


絵を見ながら話を聞くのは


どうやら日本のカルチャーだ。


中世の絵巻物からはじまり、




絵解き(中世以降)


 ↓


地獄絵図


 ↓


のぞきからくり(江戸時代)


 ↓


写し絵(明治時代)


 ↓


トーキー


 ↓


紙芝居




必ず「絵」のそばには人がいた。


食い入るように絵を見つめる聴衆に対し


解説する人がいたのだ。




そして必ず


画面にことばが先行する。


つまりポイントは




接続することば




なのだ。


PowerPointでいえば


スライドとスライドの間をつなぐ接続詞。




私は新しいテーマでしゃべるとき


スライド間をつなぐ「接続のことば」をメモするようにしている。


コンテンツはいい。


しゃべれて当たり前。


問題はその前後にある。


それが


よいプレゼンと悪いプレゼンの違いとなる。




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