本日(といっても日付は変わっているが)は
千葉県の生浜高校の夜間定時制にて講演。
20分プラスバージョンにて行った。
セリグマンのポジティブ心理学。
コミュニケーションの本質とは何か。
自分と対話することの大切さ。
たっぷり話ができたと思う。
担当の向井先生とはもう十数年来のおつきあいで
久しぶりにお会いした。
給食も大変おいしくいただき、
夜19:30よりスタート。
あいにくと講演のようすの撮影をお願いするのを忘れていたので
終了後の外の風景を。
中央に見えるのが食堂。
ここで行った。
定時制高校での講演はいろいろなところでやっているが
特に生浜高校のみなさんはとても熱心に聞いていただいた。
のみならず大いに盛り上がった。
だから私も先般より復活させた「失恋話」を追加。
私自身も楽しませてもらった。
本当によくぞ私を吊るし上げてくれたもんだ。
おかげでこっちは重要コンテンツを手にしたというわけだ。
講演後は向井先生とお茶。
11時半近くになってあわてて帰路へ。
その電車の中で書いている。
向井先生は数学の教師。
そこで私の高校時代の話をした。
私の通った高校は進学校だった。
実はクラス担任の名前は記憶していない。
それくらい何かよそよそしい感じ。
社会人になって
「高校時代が今までで一番楽しかった!」
という人がたくさんいることを知り
(何か人生を誤ったのかも…)
と思ったこともある。
実は私は数学が大の苦手。
高校2年で数学の勉強を止めた。
しかし高校1年のときは必死でやった。
なぜならば数学の先生が大好きだったからだ。
名前は永峰先生。
どことなく川端康成に似た風貌でいらした。
どちらかというとむっつり型の先生たちが多勢を占める中で
永峰先生はとても「ネアカ」。
教壇に鮮やかな花が咲いたように私には思えた。
(この先生にほめてもらいたい!)
私はすぐにそう思った。
確率とか集合とか
理詰めで考えるのは大の苦手だったが
わかるところとわからないところを一生懸命仕分けして
私は永峰先生に質問しまくった。
授業終了後毎日毎日、
私は永峰先生にくっついて数学教官室に行った。
あるいは昼休みにドアをたたいた。
先生に質問していたのは私だけだったと思う。
数学教官室の雰囲気は暗い。
誰も一言もしゃべらない。
その中で明るい永峰先生の声だけが響いた。
私の拙い質問を厭わず
丁寧に教えていただいた。
永峰先生と話をしていると本当に楽しく
その言い回しもどことなくユーモラスで、
ひとり笑いをかみ殺したりしたものだ。
私の高校では
放課後に駿台予備校に通うクラスメートがたくさんいた。
授業が終わるとともに
掃除もしないでダッシュして帰っていった人もいた。
学校の授業中は
夜の駿台の予習時間なのだ。
後で父から聞いたのだが
永峰先生は私の家に電話してきて
「トリイくんは予備校に行かせなくていいです。
私が勉強を教えます」
とまでおっしゃったそうだ。
卒業後ずいぶん経って聞いたのだが。
そんな永峰先生を
私は裏切ってしまった。
2年生になって先生が変わった途端、
勉強についていけなくなった。
先生が変わり、その先生に質問に行っても肝心の説明がわからない。
私はついに数学を投げ出した。
永峰先生のもとへも最初は行かせていただいた。
しかしやはり抵抗があった。
いつしか数学教官室から足が遠のいた。
私は大学受験に
英語と世界史と小論文のみOKの大学を選んだ。
どうしても現役で合格したかったので
それ以外の科目は捨てた。
それから高校時代の学校の記憶はあまりない。
そのまま大学に受かりグッド・バイ。
永峰先生は私のことをどう思っていたのだろう。
そして今このように高校を回るようになって
ある高校で現代国語の恩師S先生に出会った。
(この3月で退官された。いろいろお世話になりました)
講演後に
私は長い間心の奥の傷となっていた
永峰先生の話をした。
「永峰先生ならもう退官されている。
そんなに気がかりなら手紙を書いたらいい」
とS先生はおっしゃった。
そうだ!と私は思い
早速長い長い手紙を書いた。
今までの言えなかった思い。
たった1年間だったが数学に取り組んだことで得たもの。
あらん限りの文章力をひねり出し
自分としても納得の懺悔文が書けたと思う。
そして私は郵便ポストに投函に行った。
しかし…出せなかった。
なぜだろうか?
とにかく手紙をポストに入れることができなかった。
そして今に至る…
私の講演がわかりやすいとしたら
それは苦手な数学に「うんうん」言いながら頭をひねったことで培われた論理的思考力のおかげだ。
本を3冊出版できたのも、そうに違いない。
論理性とは
わかることとわからないことの間に境界を引くことから生まれる。
それが勉強の意義だ。
この力を私は間違いなく
永峰先生から教わった。
きっと私もいつか
同じ経験をするのだろう。
私も誰かに裏切られる。
しかし私はそれを望んでもいる。
そうすれば
永峰先生に私がしてしまったことも
どこか帳消しされるかもしれない。
本当に今でも信じられないのだ。
なぜあのとき手紙さえ投函できなかったのか、と。
だから私には
すばらしい数学の先生への期待が大きい。
私のように数学が苦手な人間でもがんばれた。
その先生が好きだというただそれだけの理由が動機付けになりうる。
それが教育のダイナミズムではないだろうか。
好きな教師に出会えるというただそれだけで
その直接体験が生徒を変えうる。
その可能性を投げ出した途端、
おそらく学校は死ぬ。